88の日なので。その1。
2008年5月11日今日はねー、
朝から同僚と打ちっぱなしに行きー、
そのあと皆でランチしてー、
ひとりでブラブラお散歩してー、
本や雑誌をいっぱい買ってー、
夜は、母の日用に家に送りつけておいた特大タラバガニをー、
家族みんなで食べたのでしたー。
ザ☆さわやか母の日〜ふっふ〜♪
*
そんなわけで、書くとします。
ボーイと距離を置き始めてからのこと。
辛かったけど、本当に苦しかったけど、
それ以上に大きなものを得た日々。
*
あたしさ、
ぶっちゃけ自分のことを、けっこう強い女だと思っていた。
人より不安定だけど、
でも、いざというときに踏ん張る力は、
なかなか強い方じゃないかなーって。
どんなに辛いことがあっても、
前に進めなくなることはないと思っていた。
どんなに辛さも、ふん!と耐えていれば、
1日1日、少しずつ楽になっていくのだと思っていた。
だから、今回もそうやってやりすごせばよいのだと思っていた。
なのにー。
ボーイと距離を置くことに決めてから、
毎日会社へは行っていたものの、
あの子はいつも近くにいて、だけど決して触れられない場所にいて、
そんな環境で過ごすうちに、
あたしのこころったら、
日に日に楽になるどころか、
日に日におかしくなっていったんだ。
こころが辛い、とかそうゆう次元じゃなくて、
体がゆうことをきかなくなった。
息が浅い。動悸が苦しい。
感情の波とは関係ないく涙が溢れる。止まらない。
突然息ができなくなり、もだえながら、
ああ、このままあたしは消えていくんじゃないか、と、
激しい恐怖に襲われる。
医者が後から言うには、
軽いパニック発作みたいなものだったらしいけど。
その症状は、だんだんひどくなっていって。
一週間たったころね、
それがピークに達した。
発作みたいに、苦しくなって、
わけがわらなくなった。
苦しくて、苦しくて、怖くなった。
このままじゃ、あたし壊れる。
それだけは嫌だ。
あたしはこんなことで、こころを壊すのは嫌だ。どうしよう。
苦しい。でも親には言えない。どうしよう。
たまたま、
ボーイのことも知っている同僚が、うつ病や心身症に詳しくて、
とっさにその子の顔が浮かんだ。
恥ずかしいとか言ってる場合じゃないと思った、
今思えば本当に極端だったけど、
あの時は、その子に相談できるかどうかが、
今後の自分の人生を左右するとさえ思った。
必死で、その子に電話をした。
ああ、思い出すとやっぱり恥ずかしいかも…。
完全にパニクっていたあたしは、
息をひーひー言わせながら、号泣もしながら、
どうしよう、あたしちょっとおかしいの、どうしよう。
病院とかいった方がいいのかな。どうしようって、訴えたのだ。
ただごとじゃない、と思った同僚は、
車で家まで飛んできてくれた。
少し落ち着いたころ、
ひとりでいちゃいけないと、外に連れ出してくれて、
近所のカフェに入って、
それでもまだぼろぼろと泣き続けるあたしを前に、
だまって、ゆっくり、話を聞いてくれて。
その後、彼女は言った。
お母さんに、話をして欲しいと。
こころが病的に弱っている時、
それを知っていてくれる人が近くにいることが、
どれだけ支えになるか、あたしは知ってるからと。
たとえば、夜中に息ができなくなったとき、
お母さんを呼べる、という事実があるだけで、随分安心できるからと。
ひとりでいる時間をつくっちゃだめだよ。
あたしがずっと一緒にいるのは無理だけど、
お母さんは、家にいつもいるのだからと。
病院に連れて行って欲しいと頼んでみようよ。
もし、ちゃんと相手にしてくれなかったのなら、
あたしが一緒にいってあげるから。
だから、まずはお母さんに話をしてみてほしいと。
*
ここでも過去に何度か書いてるよね。
あたしは、自分の家族の前で、
感情を見せることができない人間だった。
恋はおろか、プライベートの話なんてしない。
目の前で面白いことが起きても、隣に親がいれば笑わない。
嬉しいことも悲しいことも、親になんか話さない。
拒絶されたり無視されてがっかりするくらいなら、
初めから感情なんて見せなければいいのだと、
そうやって、ずっとやってきた。
そんなあたしにとって、
不安定でパニックを起こしてしまうから、病院に行きたい、
なんてことを親に伝えることは、とてもハードルが高いことで。
返事も出来ず、
じっと聞き続けるあたしを、
同僚は、長い時間をかけて説得してくれた。
その通りだな、と思った。
話すべきかもしれない。
母親に、今のこころの状況を伝えるべきなのかもしれない。
そう思った。
(その2へつづく)
朝から同僚と打ちっぱなしに行きー、
そのあと皆でランチしてー、
ひとりでブラブラお散歩してー、
本や雑誌をいっぱい買ってー、
夜は、母の日用に家に送りつけておいた特大タラバガニをー、
家族みんなで食べたのでしたー。
ザ☆さわやか母の日〜ふっふ〜♪
*
そんなわけで、書くとします。
ボーイと距離を置き始めてからのこと。
辛かったけど、本当に苦しかったけど、
それ以上に大きなものを得た日々。
*
あたしさ、
ぶっちゃけ自分のことを、けっこう強い女だと思っていた。
人より不安定だけど、
でも、いざというときに踏ん張る力は、
なかなか強い方じゃないかなーって。
どんなに辛いことがあっても、
前に進めなくなることはないと思っていた。
どんなに辛さも、ふん!と耐えていれば、
1日1日、少しずつ楽になっていくのだと思っていた。
だから、今回もそうやってやりすごせばよいのだと思っていた。
なのにー。
ボーイと距離を置くことに決めてから、
毎日会社へは行っていたものの、
あの子はいつも近くにいて、だけど決して触れられない場所にいて、
そんな環境で過ごすうちに、
あたしのこころったら、
日に日に楽になるどころか、
日に日におかしくなっていったんだ。
こころが辛い、とかそうゆう次元じゃなくて、
体がゆうことをきかなくなった。
息が浅い。動悸が苦しい。
感情の波とは関係ないく涙が溢れる。止まらない。
突然息ができなくなり、もだえながら、
ああ、このままあたしは消えていくんじゃないか、と、
激しい恐怖に襲われる。
医者が後から言うには、
軽いパニック発作みたいなものだったらしいけど。
その症状は、だんだんひどくなっていって。
一週間たったころね、
それがピークに達した。
発作みたいに、苦しくなって、
わけがわらなくなった。
苦しくて、苦しくて、怖くなった。
このままじゃ、あたし壊れる。
それだけは嫌だ。
あたしはこんなことで、こころを壊すのは嫌だ。どうしよう。
苦しい。でも親には言えない。どうしよう。
たまたま、
ボーイのことも知っている同僚が、うつ病や心身症に詳しくて、
とっさにその子の顔が浮かんだ。
恥ずかしいとか言ってる場合じゃないと思った、
今思えば本当に極端だったけど、
あの時は、その子に相談できるかどうかが、
今後の自分の人生を左右するとさえ思った。
必死で、その子に電話をした。
ああ、思い出すとやっぱり恥ずかしいかも…。
完全にパニクっていたあたしは、
息をひーひー言わせながら、号泣もしながら、
どうしよう、あたしちょっとおかしいの、どうしよう。
病院とかいった方がいいのかな。どうしようって、訴えたのだ。
ただごとじゃない、と思った同僚は、
車で家まで飛んできてくれた。
少し落ち着いたころ、
ひとりでいちゃいけないと、外に連れ出してくれて、
近所のカフェに入って、
それでもまだぼろぼろと泣き続けるあたしを前に、
だまって、ゆっくり、話を聞いてくれて。
その後、彼女は言った。
お母さんに、話をして欲しいと。
こころが病的に弱っている時、
それを知っていてくれる人が近くにいることが、
どれだけ支えになるか、あたしは知ってるからと。
たとえば、夜中に息ができなくなったとき、
お母さんを呼べる、という事実があるだけで、随分安心できるからと。
ひとりでいる時間をつくっちゃだめだよ。
あたしがずっと一緒にいるのは無理だけど、
お母さんは、家にいつもいるのだからと。
病院に連れて行って欲しいと頼んでみようよ。
もし、ちゃんと相手にしてくれなかったのなら、
あたしが一緒にいってあげるから。
だから、まずはお母さんに話をしてみてほしいと。
*
ここでも過去に何度か書いてるよね。
あたしは、自分の家族の前で、
感情を見せることができない人間だった。
恋はおろか、プライベートの話なんてしない。
目の前で面白いことが起きても、隣に親がいれば笑わない。
嬉しいことも悲しいことも、親になんか話さない。
拒絶されたり無視されてがっかりするくらいなら、
初めから感情なんて見せなければいいのだと、
そうやって、ずっとやってきた。
そんなあたしにとって、
不安定でパニックを起こしてしまうから、病院に行きたい、
なんてことを親に伝えることは、とてもハードルが高いことで。
返事も出来ず、
じっと聞き続けるあたしを、
同僚は、長い時間をかけて説得してくれた。
その通りだな、と思った。
話すべきかもしれない。
母親に、今のこころの状況を伝えるべきなのかもしれない。
そう思った。
(その2へつづく)
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