あの頃の、

2022年3月31日 日常
 
願いはいつだって、

確固たる居場所が欲しい。

でした。

いったい何度、
この言葉をここに綴っただろう。

きっと数えきれないな。



幼かった私に、
在ることをゆるしてくれて、ありがとうございました。

存在をゆるされる場所がひとつでもあれば、
人は大丈夫なのだと、
ここに教えてもらったのだと思う。

みんな、ありがとうね。

きっと、
ずっと、
ときどき、
元気かなぁと、
思い出すんだろうな。



最後に。

それでもきっと、
心が迷子になったら、ここをのぞいてしまうだろう未来の自分へ。
幾度となく綴った、もうひとつの言葉を。


 
 
大切なものを、
大切にできる人でありたい。
  


 

またね!
  
  
 

 
日々は過ぎて、
ああ、あと半月もないじゃないか。
ここに書けなくなるまで。

みんなの、
驚きやあの頃のこと、を綴る日記を読みながら、
色々なことを想ったし、
色々なことを思い出して、胸がぎゅうと、つかまれるような、
懐かしい、苦しい、感情を少し思い出してみたり、していた。

そんなことしつつも、気持ちがまとまらず、書く気にもなれないうちに、
ホワイトデーも過ぎちゃったし、
週末には息子その1が5歳になるし、
月末には結婚記念日がきて、
そうしたらすぐに4月が来て、
娘は2年生になり、息子は年長と2歳クラスに進級するし。

ああ。
日々は昔よりも、とても速いなあ。

あの頃は、なんてゆっくりと人生を生きていたんだろう。

そこにいることが、ただ苦しくて、いつもおぼつかなくて、
考えて泣いて迷って。
笑って泣いてまた迷って。
迷いから抜け出られる予感はまったく持てず、
自分の足元を確かめるかのように、
毎日のように想いを吐き出していた。

今思うと、片想いか両想いかはさておき、たいてい恋をしていたし。
仕事も忙しく、かといって友達もたくさんいたし。
なのになんで私は、あんなにいつも寂しくて、
人生はあんなにゆっくりだったんだろう。

人生のスピードが速くなり、
ああもっとゆっくりならいいのに、と思うようになったころから、
ここに書きに来ることがほとんどなくなって。

だけど、
見に来てはいたなあ。
見に来る頻度は多くなかったけれど、
存在がなくなることはなかったな。

ブログでもなく、
交流するための場所でもなく、
かといって交流してないわけでもない、
不思議な場所。

みんな言っているように、
同じような場所はない、と思う。

ゆっくりなんだよな。
ここはいつも。
時々のぞきに来ても、ちゃんと自分の場所はそのままで、
誰かが日記を更新してたら、
それがどれだけ前のことでも、見逃すこともない。
そしてみんなが、ゆっくりでいい、と思っている、そんな感じのする場所。

だから、多分、
同じように使う場所を他に見つける、ということはしないだろうと思う。

そして、
ここが本当に消えるまで、
やっぱり時々、見に来るような気もする。



3月中に、また書くかはわからないけれど。
とりあえず。

ここ、
あってよかった。

足元はいつもおぼつかなかったけれど、踏み外さずに今にたどり着けたのは、
間違いなくここのおかげ、だと思ってる。

不思議な、
こころのつながりにも、
心からの愛を。

 
 
  

え。

2022年2月19日 日常 コメント (2)
 
  
ほんとに?

ここ、
なくなるの?

   

するタイミングが、ふと訪れた。
思いがけないタイミングで。



娘と息子がリビングでTVに夢中になっているその時。
ジゲンは寝室で布団にシーツをかけていて、
そこをちょろちょろする1歳は明らかにうんち臭くて、
そんな状況ではあったけれど、
ふと話がはじまって、
ジゲンは逃げたそうだったけれど、
今を逃してはならない、と思った。直感で。今ならいける、と。
おしりがかぶれないかな、ごめんね1歳、と思いつつ。
でも逃してはならない、と思った。



前回の日記を書いた後、
そのまま昔の日記を読み返し始めて、
10年ほど前、まだ付き合って1年ほどのころに、
大きなケンカしたときのことを鮮明に思い出した。

あ、同じだ、
と思って。

そうか、
ジゲンは、こうゆうことをする人だった、と気づいて。

その翌日に、
日記を読んだ友が心配して連絡をくれた。

友と会話をするうちに、
自分の本音が、さらに胸の奥から出てきた。

そしたら、
頭のモヤが、少しずつ取れていって。

自分が、何が辛くて、何が悲しくて、何を許せないのか、
どうしたいのか、どうありたいのか、

想いが、少しずつ、凝縮されていったこの数日。

そして今日。

こども達がやたらと、
笑わずにはいられないおバカなことを連発する日で、
ちょっと気持ちが和らいでいて。
ジゲンにも同じ空気があって。

そして訪れたあのタイミングだったから。
逃してはならない、と思った。



心が折れた。
と伝えたら、ジゲンは悲しそうに、
そうか、折れちゃったか…と頷いた。

もう完全に、
しあわせを信じていない頃と同じ、ジゲンの顔。

昔のあのケンカを覚えている?
あの時と同じことをしてない?
一人だけで悩んで、迷って、諦めて、決めて、
私がどんな人間で何を考えているかも勝手に想像して決めて。
同じことしてない?

と聞いたら、
ちょっと驚いて、
それから、「…してる。」と答えた。

でもさ、
この家族は、
ジゲンが一人でその在り方を決めてよいものなんかじゃ、全然ないから。

この家族は、
私たち二人が出会って生まれて、
娘と、息子と、1歳が産まれてきてくれて、こんなすごいものになったわけで、
私たち全員のものだ。

私はずっと苦しいし、
こども達は、ちゃんと何かを感じている。

ジゲンが一人で決めてよいものなんかじゃない。

そこまで話したら、
ようやく、
ジゲンが、心の中を、吐き出しはじめた。


だって!
こんなこと、考えたくもないし、言いたくもないじゃん。
結婚して、こども3人も産まれて、
何も疑ってないし、これから何か起こるとも思ってない。
だけど、それでも、
見たくないもの見てしまったら、どうしても考えてしまうじゃん。
だけど、
ジョージは仕事も、会社も好きなんだろうなあと思うし、
仕事だから得られる人生のやりがいがあるってこともわかるし、
人の人生のことを、無理やりどうにかしようとも考えられないし、
こども3人もいて、経済的な問題も大いにあることもわかってるし、
これはもう、定年まであと10年?15年、耐えるしかないのかなとか、
でもしんどいなあとか、
ずっといろいろ考えてたよ!

って。

ああ。

この人は。
こうゆう人だったのだ。

私、間違ってた。

結婚してこどももできて、
そりゃ死にかけたり色々ありまくったけれど、
愛情、という面ではずっと満たされいたから、
この人のこうゆうところも、
なくなりはしないだろうけど、薄れたのでは、
と、
多分私は、都合の良い解釈をしていた。

だけど、

ジゲンなのだ。

不幸を受け入れて生きようとする人なのだ。この人は。

私はなんで忘れていたんだろう。



だけど。

ようやく引き出せたジゲンの声は、
おそらく私の人生に、大きな変化を強いるだろうものだったけれど。

でもずっと欲しかった答えがある気がしたのだ。

だから、もう、
ぶつけた。
その答えを確認しないと、
何も進められないから。

こんな時になんだけど、
前向きなこと言っていい?
その辛さはつまり、
私のことをものすごく好きだからこその辛さってこと?

「…そう。」

ちょっとしてから、
ジゲンは頷いて。

私は、
半年ぶりに少しほっとして。泣いた。

それから無性に腹が立ってきて、

それが大事なんだよ!
それがわからないと何も変わらないんだよ!

と、
布団を投げつけた。



そこまで。

リビングからこども達が呼ぶ声がして、
訪れたタイミングは、また中途半端に終わりを迎えた。

けれど、

大丈夫、と思えたよ。

だって知りたかったことを知れたから。

いつぶりだろう、
ジゲンの本当の声。

今日の、涙を浮かべて想いを吐き出すあの人の声を、
忘れてはいけない、と思った。



そのあと、また、洗面所で二人になった時に、

私がこの数か月、何考えてたかわかる?
ジゲンが、苦しいあまり、私への気持ち自体を無理やりなくして、
愛がない仮面夫婦になろうとしてるんじゃないかってことだよ。
それがもう、ずっと不安で、苦しくて。
・・・てか、ちょっと図星でしょ。

と聞いたら、

ジゲンは、ばつが悪そうに、
「まあ…、基本、受け入れるタイプだからさ…。」

と、
あろうことが肯定したのである。

信じられない。

ほんと、大変な夫だわ。

もしこのまま、
混乱したまま、苦しいまま、タイミングを逃し続けていたら、
私は本当に、失っていたのかもしれないと、

背筋が凍った。



って、

引き続き記憶のままの吐露。
だけど記しておきたくて。

ここがあってよかったから。

って、
昔は度々、そう書いてた気がするけれど、
こうゆうことだったんだよなあ。

私には多分、
書くこと。
書き留めておくこと。
必要なことなんだろう。
大切なものを感情で、勢いで、失わないために、
必要なことなんだろう。

ここがあってよかった。

まだ解決はしてないけどさ。
結婚して多分はじめての、終わりを見た危機の、大きな山を、
超えられたような気がしている。

今日の気持ちを、
ジゲンの想いを、
わすれないように。

ここがあってよかった。
    
  
  


 
そこに存在しているかどうか、ということなんだろうな。
きっと今こんなに苦しいのは。

ずっと灰色の霧の中で暮らしているような、
そんな日々が、
もう何か月も続いていて。

でもそれは、
ちょっと人には共有しがたい、理解しがたい、
そして説明もしがたい、
そんな霧で。

だからずっと、
自分の中で処理しようと。

いつものように、彼を信じて待とうと。
それまでは、わたしは元気に。笑っていようと。
この家の空気を、こども達の笑顔を、信頼できる愛情のありかを、守っていこうと。

そうやって過ごしてきた。

でも。

毎日毎日、傷はどうしても生まれていく。
小さな傷がどんどん増えてつながって、
だんだん大きな傷になって、
そのうちなかなか血を止められなくなって。

痛い。

心が痛い。
胸が苦しい。

辛い、辛いという心の声が、
どれだけ耳をふさいでも聞こえてくる。

ごまかせない。



こないだ、
どうしても、耐えられない瞬間が来て、
辛い、という声をこぼしてしまった。
毎日とても辛い、と。
私はとても辛いのだ、と。

その時、彼が、
苦しそうな目をしたのがわかってしまった。
その扉を開けてくれるなよと、
そんな目をしたように見えた。

そして、
それから丸3日がたっても、

やっぱり、彼が私に向き合う兆しは見えない。



はたから見たら、多分とても普通。
会話もある。
一緒に人と会っておしゃべりすることもある。

だけど。

深いところでつながってきたからわかる、
母親として、以外の私からの言葉に、
彼はずっと反応を返さない。

それは無視と何が違うんだろう。

理由も、気持ちも、一切話してもらうことなく、
日々無視され続けながら暮らすことの辛さを、
彼は知っているんだろうか。

無視されれば無視されるほど、
弱った心に嫌な考えがむくむくと襲ってくる。

母親として、以外の私には、もう存在価値がないんだろうか、
向き合う価値をもう見いだせないのだろうか、

それが毎日、毎日、毎日続いている。



この家族を、壊さないでよ。
大切なものを見失わないでよ。
こども達はぜんぜんごまかせてないよ。
こども達をバカにするな。
そんな生き方、私はこども達に見せたくない。
無責任な悪意からはいくらでも逃げればよいと私は思う。
だけどそれは、本当に大切なものを守るためだ。
そして私は、
こども達を、信頼できる愛情の中で育てたい。
せめて家の中だけでも、信頼できる愛情の中で。
偽物の愛情はいらない。
それは、今をごまかすことができたとしても、
いつかこども達を大きく傷つけるから。



叫びたい衝動に、初めて駆られた。

初めて。

向こうも、初めての黒いものと、戦ってるのだろうか。

あんなくだらないものに。
今の私にとって何の意味もないものに。

あなたは負けるの?
それでいいの?
そんなものに、今手にしているこんなにも大切なものを、
壊されるの?

そこにあるのは本当に真実?
それを、確かめる価値すら、もう私にはないのだろうか。



なんて。

まったく整理のつかない殴り書きの吐露。

だけど多分、

必要な気がして。

ちゃんと書いて、
少しずつ気持ちを整理して、
大切なことを、どうするべきかを、見極めることが、

あの頃、
そのことにちゃんと、助けられたように。



しばらく続くのか、
また書けなくなるのか、
書かなくなるのか、
わからないけれど。

説明のつかない吐露。

どうか、この場所で。
 

出産報告すら、

2021年5月26日 日常


してなかったのでした。

なんということでしょう。1年半ぶりです。

去年の2月末に産まれた3人目は、
もうすぐ1歳と3ヶ月。

4年に1度しか誕生日がこない、2月29日産まれ。
内弁慶の上二人とはぜんぜん性格が似ておらず、
内でも外でもとにかく強気。悪い顔して悪いことばかりして、怒られるとニヤリ。
末恐ろしいザ・3人目であります。

長女はこの春から小学生に。
長男は年中。次男は1歳クラスに入園し、私は復職して。

なんというか、
まあ、

元気だよー、とは簡単に言えない色々の中で、
闇と光の間を行ったり来たりしながら生きている。

でも、
どれだけ落ち込んでていても、消えたいくらいの気持ちでも、
毎日、家に帰れば、子どもたちの存在が、ちゃんとひっぱりあげてくれるから、

しあわせだなあと思うし。
しあわせを見失うなってはいけない、と思う。

そんな日々です。

うむ。

そうそう。
書いてはいないけれど、
ちょいちょい読みに来てはいるんだよ。

ここがまだここのままであることにも、
救われたりしてさ。



そんなこんなで、
とりあえずブランクを埋めてみた日記なのでした。

また近いうちに。

 




大きな。

2019年12月31日 日常
 
今年も22時には寝静まり、
ひとりでの年越し決定な我が家なのでした。

ジゲン21時には寝たからね。
どーなのよオイ。

今日の夕方の時点で、
部屋はまだぐっちゃぐちゃ、年賀状も書いてない状態で、
これはもう諦めるしかないかと思ったりもしたものの、
なんとか片付けも終わって(プチ掃除しかしてないけど)、
年賀状も投函して、
落ち着いて年を越せそう。

なんとかなるもんだ。



なんというか。

大きな、1年だったな。

大きな。

失ったものも、
得たものも、
大きくて、たくさんで、
驚いたり、喜んだり、泣いたり、ヘロヘロになったり、
余裕などまったくなく、
ジゲンとも何度もギスギスしたし、
友だちも失った。

だけど、ぶれるまいと、
1番のたいせつを見失うまいと、

それはもう、しがみつくように、
自分を保ちながら、
日々を繰り返して。

辛かったけどさ。
保ちとおせたから、
ああ、今年も良い一年だったなぁと、
今思えている。

つまりは、
やっぱりわたしは、しあわせ者だ。

来年。

来年はきっと、
もっと大きいね。

願いは変わらず。

とにもかくにも健やかに。

家族が元気に生きてくれてたら、
それだけでよいのさー。

まずは、
無事に高齢出産を成し遂げるべく、
引き続き、必死に妊婦、続けます。

あ、
ちなみに、腹囲はさらに膨らんで102センチ。
あと2ヶ月半後、どうなってるんだろうか…。



そんなこんなで、
今年も大好きなことばを。

よいおとしをー。

うん。

よいおとしをー。
   

腹が。

2019年12月13日 日常 コメント (2)
   
   
出どまらない、26週と6日。

既に娘を産んだときと同じサイズっていう。(98センチ)
予定日まであと3ヶ月あるんですけどー。

息子のときも、かなりおなかが膨らんで、最終108センチだったのだけど、
ふたを開けたら4キロ近いビッグベビーだったわけで。

今回はあのときよりもハイスピードで膨らんでいる。
なにこれ?どうゆう仕組み?
いくら、2度の出産で腹の皮が伸びているといっても、膨らみすぎじゃないか?

ああ、どうしよう。またあんな大きいもの出したら、
ただでさえも前回で壊れかけた下半身が、本懐してしまう…。

と。

出どまらないお腹に、
既に出産の恐怖におびえ始めているのでした。

あと3ヶ月。

長いな。。。



ちなみに。

けっこう前の健診でのことだけれど、
エコーをしてもらいながら、ボケーっとモニター見ていたら、
素人でも疑いようもないくらいわかりやすい男子の証が見えたのでした。

ハイ、性別判明ー。

でもって、
妹の誕生を心底望んでいる娘に、まだ言い出せないでいる。

あの人、毎日、弟に暴力を振るわれまくってるもんだからさ。
妊娠を伝えたときからずっと、次はやさしい女の子がいいな♪と言って、
楽しそうに女の子の名前ばっか考えててさ。(だいたいキラキラネーム)

い、言うタイミングが難しい~。

そして、
息子はというと、
まだまだ乳離れができていない、というのが大きな課題。

もう1滴も出ていないのに、毎日のようにおっぱいを飲みたがる。
もう1滴も出ていないのに、ずっと吸ってる。

なんだろうなあれは。
精神安定剤なのかしら。

出産までに、
も少しちゃんと乳離れさせてあげないとなあ。

もし、入院で突然母がいなくなり、
戻ってきたと思ったら新しい赤ちゃんと一緒で、
しかも1日中その赤ちゃんにおっぱいあげてたりしたら、

普通に考えて、
傷つくよな。
ぐれるよな。

だから。

できればお正月休みあたりで、
断乳しないとなあと、思うのです。(1滴も出てないけど)

本当なら自然な卒乳を待ちたかったけれど。

ごめんねえ。

想像するだけで、胸が痛む。



そんなこんなで、

ますます生きるだけで精一杯の日々で、
家の中も、史上最強にぐっちゃぐちゃだし、
ごはんも、もっすごい手抜きが続いているけれど。

まあ、
まだ切迫早産になってないだけで満点ということで。

いろんなストレスは、
できるだけ脳内から追い払うのだ。

家族が毎日笑っていられること、

無事赤ちゃんを産めること、

それだけを見ること。

よくばらない。

自分に毎日言い聞かせていること。
  
   
    
わー。

今まで、最低でも正月と誕生日(8月)には日記を書いていたのに、
気づいたら誕生日なんてとっくに過ぎてるし。なんならもうすぐ次の正月来るし。

日々が、
びゅんびゅんと過ぎていく。



そんな令和元年。

大きな出来事があったのでした。

わたし、今、
第3子がおなかにいます。

妊娠6ヵ月半。
予定日はホワイトデー。

うっすらと憧れていた3人目。
でも我が家には絶対ない出来事だと思っていた3人目。

人生はいつも予想を越えて来る。



そもそも。

新婚早々ジゲンが大病し、その後遺症的なものもあって、
結婚生活はそのほとんどがレス状態な我が家。

しかもわたし自身も不妊症で、
第1子も、第2子も、高度不妊治療でようやく授かって。

子どもはできれば2人以上、というのが希望だったし、
その2人で妊娠するまでにかなりのお金を使ってしまったし、
結婚~2人目出産までの約4年間が、あまりにも波乱万丈だったので、
これ以上は望んではいなかった。というより望めないと思っていた。

何より、
3人目をつくるとしたら、自然妊娠しか選択肢はないけれど、
そんなこと、自分の人生に起こる可能性はない、と思っていた。

そんな中。

突然、この子が来た。

結婚して6年。病気からも6年。
ふと、できた日があって。

わあ、こんなことがあるんだ!と思って。

そしたらそのタイミングで、
この子が来た。

そんなこと、
あるんだなあ。

あるんだなあ。



そこからは。

上2人抱えながらの悪阻生活、
そして40代突入、
40代妊婦の体力のなさとの戦い、
などを経て、
1日1日をただただ必死に生きていたら、あっという間に妊娠6ヵ月半。

2回産んだおなかはすっかり伸びきっているのか、
すでに産めそうなくらい出ているし、
とにかく身体がしんどくて、
毎日、仕事に行き、最低限の家事育児だけをこなし、
それ以外のやりたいことはさっぱりと諦め、子供と一緒に寝てしまう生活。
がしかし、大体8~9時間はベッドにいるのに、
1時間に1度は目が覚める超頻尿が続いており、日中もとにかく頭が朦朧。

そんな妊婦ライフなのでした。

早く、冬休み、来て・・・。



そんなこんなです。

書きたいことはたくさんあって。

もやもやと、解消できない苦しいこともたくさんあって。

それを昔みたいに、ここで上手に出せたらなあと思いつつ、
その余裕がない日々です。

リアルの友人たちも、
40歳という難しい時代を、
それぞれが違う何かを戦いながら必死に生きていて、
それがたぶん、大変すぎて、苦しすぎて、

・・・なんだろな。

昔のように、なんでも話して気を許して爆笑して、
ということが、
とても難しくなってしまっていて。

とても寂しい。

生きづらいなあと思う。

いつか、
アラフォー女性がさっぱりと生きていけるような時代が、
訪れるといいなあ。

そしてわたしたちも、
50歳くらいになったら、
きっとまた、がははと、昔を笑い飛ばせるようになるといいな。

って、

いかんいかん。
なんて中途半端な吐露。



今はとにかく。

切迫早産にならないことを祈りつつ。←切迫体質

産休までの日々を乗り切るのだ。

わたしはわたしの人生をつくる。

 
    

家族みんな早々に寝静まり、
残った家事をしながらひとりで年を越したのでした。

2019年。



さっき。

子どもたちに、さあ寝るよー!と言ったら、
娘と息子が、おもむろに手を取り合って、
そのまま手を繋いで、寝室までの短い廊下を、てけてけ歩いていって。

その後ろ姿を見ながら、
ふと思った。

あ、
あたし、今年、がんばったわ。

でもって、
これのために、がんばってたんだわ。

って。



まだ赤ちゃんみたいだった娘と、
赤ちゃんだった息子が、
子どもにそだって、
まあ喧嘩は多いけど、お互い好き合って、いまのとこ仲の良い姉弟で。

色々あったけど、
とりあえず2018年のゴールとしては、上々ではないか。

うん。

上々。

良しとしよう。



そんなこんなでお正月。

明けましておめでとうございます。









不妊治療を経て娘を妊娠してからずっと、

体調が悪いのも、
時間の制約か多すぎることも、
仕事を思う存分できないのも、
飲みに行けないのも、
個人の娯楽を手放していることも。

ぜんぶ、
いまだけ、
いまだけだから、
と見ないようにしてきた。

それが5年。

もう5年。

人生の優先順位はぶれていない。
いちばん大事なものを知っている。
たぶん人よりちょっと多めに、
あたしはそこに価値を置いているかもしれない。

それでも。

5年はけっこう長い。

自分で選んでいても、
我慢は我慢であって。

その中で、
羨みや、欲張りな望みが浮かんだりもする。
そして、その度にそれを封じ込める。

それが事実だ。

たぶん、
無視しちゃいけない事実なんだろう。



突然気持ちが折れてさ、
涙がぼーぼーと出てきてさ。ひさしぶりに。

ジゲンのあたしの仕事の仕方に対する想い、
同僚からの重圧、
あたしが断った仕事のせいで、
あたしの代わりに家族を犠牲にしている他のスタッフへの罪悪感、
やりたい仕事をこころよく受けられないジレンマ、
適当に切り上げなければならない割り切りへの気合い、

日々が板挟みすぎて、

考えないように、愚痴らないようにしていたけれど、
こころにはちゃんと、たまってるのね。

生活って、たいへん。




もや。

2018年8月31日 日常

気づけば39歳になっていて。

仕事は忙しい。
息子はなかなか身体が弱く、
2週間に一度は発病、
今月なんぞ2度入院。
それが両方とも仕事の締め切り前に重なって、
看病明けに徹夜で出勤したり、
寝かしつけてから夜中に家でパソコン開いたり。

2歳差育児の共働きは、
復帰一年目が一番地獄だと、聞いていたけど、
まさにその通りの日々で、
生活に追われて追われて追い抜かされて、
自分のことなど、何もできない。
そして仕事の質も、やりたいことも、
いろいろなことを諦めながら、
こどもたちのかわいさだけを、心の栄養に、
必死に、でもしあわせで、でも苦しくて。
そんな日々。

今が一番大変ってことは、
裏を返せば、この辛さは期間限定ってことで、
そして、しあわせのためのこの期間なのだから、
この期間のためにしあわせを失うのは本末転倒で。

つまりはさ、

やり過ごそうとしているのだ。

いろいろな気持ちを、ジレンマを、矛盾を、さみしさを、
やり過ごそうとしている。

でもさ、
やり過ごすって、

とどのつまり、
内に秘めるってことでさ、

ときどき、
ちょっと、
パンクしそう。

ジゲンに出会って、
唯一の、見せられる場所、を得たと思っていたから、

見せない日々の、
なんて身体に悪いことよ。

そんなこんなで、
吐き出してみる実験。

わーーー!



   
4月の終わりから仕事に復帰したら、
なんだかぜんぜん余裕の無い日々なのでした。

前はさ、日記かけなくても読んではいたのだけれど、
今はそれすらできていない。

なんだろなー。

前の復帰時と、何が違うのかしら。

もちろん、子が2人に増えたってのはあるけれど。

上(3歳4ヶ月)が非常に甘えん坊でさ、
なぜかどんどん手がかかるようになるってのと、
あとはあれね、…老化?

産後のダメージからまだ抜け出せない。

体力なさすぎる。

ボロボロー。



保育園は、
なんとか二人揃って認可に入ることができて。

娘は認可外からの転園。
息子は保育園デビュー。

でもって、

3歳(内気)の転園の大変さよ…。

1歳はさ、ただただ号泣してるだけだけど、
3歳には、こころの闇を感じる。

毎日とにかく行きたくなくて、
迎えに行くといつもポツンとひとりでいて、
親子遠足でも、他の子がみんなで走り回ってるのに、
ずっとあたしの横にいるしさ。

昨日の夜は、ついに面と向かって、
「娘ちゃんさ、ほいくえん、すきじゃないんだぁ。」
と訴えられたのでした。

でも、

じゃあ行かなくていいよ、
と言えるわけでもなく。

こどもの順応性を信じて見守るしかないんだよね。
その見守るだけってのが歯がゆくてさ。

娘が、笑顔で登園できる日がやってくることを、祈る日々。

がんばれわが子よー。



息子(もうすぐ1歳2ヶ月)は、

もうとにかく、
かわいすぎて困っております。

以前ママ友が、息子が好きすぎて胸が苦しい、と言うのを聞いて、
「恋かよ!」と爆笑してたのだけれど、
はい、今はそれがわかります。

好きすぎて胸がきゅー!ってなるわ。

全然イケメンじゃないのに、イケメンに見えるしね。
それ言うとジゲンに「きもっ」って突っ込まれるから言わないけどね。

うちの息子がかわいいのです。
どうしましょう。

ザ・アホな親バカなのでした。

まあ、
娘の時も、
1歳~1歳半くらいの時が最強にかわいかったけれど。

ああそうなんだよなあ。

今のこの素晴らしくかわいい時期を、
こんなにボロボロ状態で過ごしていいのだろうか。

と。

葛藤が尽きない。

そんな日々。
 
 

例年のごとく、

2017年12月31日 日常
22時ごろにはあたし以外みんな夢の中へ、
な我が家の大晦日なのでした。

2017年、もーすぐ終わる。

濃かったなー。今年も。

ジゲンが倒れてから1年。
息子が我が家にやってきてくれてから9ヶ月。

今年もいろいろありすぎて、
今、家族たちが平和にすやすや眠ってる姿を見ると、
それだけでなんだか泣けてくるわよ。

すこやかに。
すこやかに。

来年も、望みはただそれだけ。



てかさー。

なぜか、この大晦日という日に、
ちょっと前に受けた人間ドックの結果が届き、
思いっきりひっかかってたっていうね…。

なんで今日!
年越しざわつくわ!



とにもかくにも、よいおとしを。

あーなんか、
いいことばだね。よいおとしを。

よいおとしを。

よいおとしをー。


わたしは38歳に。
むすこは5ヶ月に。

約4キロで産まれた彼は、8キロになりました。



にしても5ヶ月て。
1つ前の日記、出産報告だし。汗

娘の激しい赤ちゃん返りやら(まだ続いてる…)、
保育園から持ち帰りまくるウイルスやら(息子は3ヶ月にして入院を経験)、
産後の虚弱体質化やら、

2歳差育児と高齢出産の洗礼を受けまくりで、
ここを開く心の余裕が全然やってこなーい!

とはいえ。

誕生日だなぁと思ったら、なんだかしみじみしちゃってさ。
去年の誕生日の日記を読見返してみたら、
なんだかとても書きたくなった。



さっきね。

そろそろ寝よかな、と寝室にきたら、
もう0時を越えていて、
あれー越えちゃった、と思いながら、
ベッドにめちゃくちゃな寝相で転がっているジゲンと娘と息子を見つめてみた。

守りたいなぁ、と思った。

この3人の日々を。

3人が、できるだけ毎日を、穏やかでしあわせな気持ちで過ごせるように。

そのことに、
あたしの38歳をささげようって。

そう思った。



ぶっちゃけ。

さすがに2人もこどもがいると、
夫婦の恋人感など、どんどん薄れちゃってさ、
そもそも2人でゆっくり話せる時間もあまりないし、
あったとしてもこどもの話ばっかだし、
それ以前の問題として、
娘という愛しすぎる存在を前にしたジゲンに、明らかにおろそかにされることも、とても多いし。

さみしいこと、
なんだかなぁと思うこと、
たくさんある。

それが事実。

だけどさ、

それでも、
いま手にしているものが、
宝物すぎて。

とにかく。
失いたくないと思う。

突然失うこと。
それが全然起こりえるということを、
あたしは、嫌というほど、知っている。

だから、
日々はとてもこわくて、
しあわせで
守りたい。



明日は日曜日だから、
朝ごはんは、娘にパンケーキを焼こう。
いつもはおにぎりやパンだから、喜ぶかな。
美味しい梨も、むいてあげようかな。

そうおもって、材料を買ってきて、
夜寝る前にキッチンに並べてから、寝室に行った。

ふと、

自分の誕生日なのにねぇ。

って思って、
なんだかとてもおかしくなった。

そゆことなんだろなきっと。
38歳のあたしは。

さて寝よかな。

いい日曜日になりますように。

おやすみなさーい。




ちょっと時間あいちゃったな。

3月20日の春分の日、
男の子を出産しました!

なんというか…、またもや波乱の出産劇で。

あたしは大量出血からの重度貧血、
ぼーやは肺がうまく機能せずにすぐにNICU入りしてしまい、
入院中はずっと母子別々なうえに、あたしは2/3くらいをベッドの上で過ごすことになったという…。

退院もいつになるかずっとわからなかったのだけれど、
さっき急展開が起こり、
ぼーや、NICUから一般病棟にうつり、
明日か明後日には親子で退院できることに!

小児科の先生が、産科のナースステーションまで来て話してくれたのだけれど、
なぜか助産師さんたちに拍手され、
産後の涙腺的には、うっかり泣きそうになっちゃったのでした。

ああ本当によかったー。



以下、出産経緯!

18日。おなかいたくなり入院。子宮口5㎝。

そこから丸2日、陣痛進まず。
ひたすら陣痛室を占領し、6〜7分間隔の弱め陣痛に耐える。

20日朝。
痛みはちょっと強まってるものの微弱陣痛のままで、
このままじゃよくないと、促進剤使うことに。

あれよあれよと準備され、10時促進剤開始。

恐るべし促進剤の効き目。
みるみる陣痛強まって30分後には激痛3分間隔に!

12時58分、
なにかがものすごい勢いでお尻にぶつかってくる衝撃とともに破水。
ここからすごくって、13時4分子宮口全開。
いきみだした5分後、13時9分ぼーや誕生!
という怒涛のクライマックス…。

やったー!と思ったのもつかの間、
ぼーや、一瞬手を触らせてもらえただけで、すぐにNICUへ搬送…。

分娩室で休息。
あたしは、出血は多めだったものの、時間が短かったからか比較的元気で、
ぼーやを心配しつつ、やりきった感満載でぼけーっと過ごす。

がしかし…。
1時間ほどしたところで、急に異変を感じナースコール。
意識が遠のく中、「血圧50/24です!」という声が聞こえて、
それはちょっと低すぎじゃないか…?と思いつつ意識喪失。
お腹の中で隠れ大量出血していたらしく、緊急でそれをかきだす処置。
てか、緊急だったから麻酔され忘れてて、ものすごい痛みで意識を呼び戻されたという…。
めちゃくちゃ苦しかった…。

結局、ぜんぶで1.7リットルの大量出血。
処置後も意識がぼんやりしたまま戻らず、
そのまま夜の8時まで分娩室で経過観察、からの寝たきりのまま病室に運ばれ、
それから3日間、歩かせてもらえなかったのでした。



いやー。
やっぱ出産は恐ろしい。

ジゲンなど、
ぼーやどうなったかわからないし、
あたしも突然意識失って緊急事態感はんぱなくら
待機している間、不安で不安で仕方がなかったみたい。

心配かけてごめんね。

そんなわけで、
貧血による頭痛に悩まされながらも、
ようやくスマホで日記かけるようになってきた今日現在。

母子ともに無事です。

そだ!

この波乱の出産劇の原因…。

ぼーやの大きさ、
事前の健診では、3300gくらいかなーと言われていたのだけれど、
出てきてびっくり、3926gもあったという。

見た目の巨大感もすさまじく、
出た瞬間、その場にいた助産師さんとかもみんな、え?!ってなってたわ…。

巨大すぎたゆえのウエスト105センチであり、
巨大すぎたゆえに、なかなか産道に降りてこられず微弱陣痛になり、
微弱陣痛が長かったゆえに、ぼーや疲れ果ててNICU行きになり、
あたしの子宮も弱って大量出血っていう。

ま、
終わりよければすべて良し。

笑い話になるはず。

残された大きな課題は、
ヒカルだよなー。

未だ、ママはおなかいたいから病院にいると思っているむすめ。
こなあと、ぼーやと初対面する予定。

どうなるかなー。

大丈夫かなー。

心配やー。




産まれていないのでした。

ただし、実は今病院。入院中。



今日は、
予定日を二日後に控え、念のため保育園をたのんであったので、
夫婦ふたりきの土曜日で。

午前中はジゲンと散歩したり階段たくさん降りてみたり、
からのベトナム料理店でランチして。
さらに、車で30分くらいのところまで、検討中の中古車を見に行ったり。

そしたら、車屋さんついたあたりから、
なんだかだんだんお腹が痛くなってきてさ。

前駆陣痛はずっと続いてたけど、
明らかにレベルが違う、ちょっと冷や汗ものな感じで、
なんなら3〜4分間隔だし、昨日からおしるしもきてたので、
これはついに?とそのまま病院に直行。

…がしかしー。

病院で横になったら、なんだか体調落ち着いてきちゃって。
おなかの張りも、10分間隔だし、てかそこまで痛くないし。

えー…。

とはいえ、
子宮口は3.5㎝くらいではあるが、フワッフワに柔らかくなってて、
始まったら早そう、とのことで、
とりあえず明日の朝まで入院決定し、
狭い待機室で、とにかく暇な現在。

はー。

なんか、
明日の朝、帰されそうな気がするなぁ…。

何が辛いって、
入院になったら、ヒカルは実家にお泊まりさせることになっていたものの、
いきなり保育園におばあちゃん迎えにきて連れ去られるより、
ちゃんと話してからの方がいいだろうと、
ジゲンに、保育園終わりのヒカルをいったん連れてきてもらってね、
今日はおばあちゃん行こうねって話をしたのよ。

その時のさ、
ヒカルの、死んだような瞳よ…。

なんかもう、

辛いのです。
辛いことこれから起きるのよね、ええ起きるのよね、
わかったけど、でも辛いのです。

…って心の声が聞こえてきそうな感じで。

ひと通り話を聞いたあと発したことばは、

「おうちかえりたい…」

だったのでした。

なんだかあたしが泣けたよ。
いつもと違うことが苦手な、不器用なムスメよ。
ごめんねぇ。

実家の母が迎えにきたので、
ジゲンが駐車場まで送ってったのだけれど、
その時も、

ママもいく?
パパは?
パパもおばあちゃんち行く?

と繰り返していたらしい。

涙。

だからさ、
できれば、嫌なことはいっぺんだけにしてたい。
この入院で、このまま産んでしまいたい。

おうち帰れたと思ったら数日後にまた突然おばあちゃんち預けられて、
をなんども繰り返すのは、かわいそうすぎるー。



そんな39週と5日。
ウェストはさらに膨らんで105㎝。

どーなることやらな土曜の夜です。

はー。

坊やよ。でておいでー!


実はまだ産まれていません、な38週と6日。

ザ・産む産む詐欺状態。

明日から39週だし。
もはや予定日も近いっていう。

そんな中、お腹が膨らみ止まらない。
もはやウエスト103㎝の女よ。めっちゃでかいとよ。
どんだけ伸びやすいのよ、経産婦のお腹。



この1週間。

前駆陣痛がつらくてつらくてー。

毎晩、夜になるにつれておなかがいたくなり、眠れない。
不眠症状態で、日中はずっと朦朧。

でもって、
そんななか、風邪をひいたのでした。

こんなに引きこもってるのに、
家族誰もひいてないのに、
なんでー?

咳、鼻、熱、の典型的な風邪。

で、
さすがに、今の身体での発熱は、かなりきつくってさ。
あたし、すっかりダウンしてしまい、
まだ体力回復期のジゲンに、いろいろ家事をしてもらったら、
ジゲンもダウンしてしまうという…。

これはまずい、
いま産気づいたら本当にまずい、と、
意を決して、昨日1日、実家にヒカルを預けてひたすら夫婦の回復デーにしたら、
ようやく抜けた感、ないま現在。

ああ、しんどかった…。

やはり今の我が家の状況は無理があることを、
痛感した1週間だったのでした。

てか、
もしあの時に産気づいていたら、

陣痛中も鼻詰まって息吸えない!
いきもうとして咳き込む!
ジゲンまったく立ち会えない!

…ってなるところだったわ〜。
あぶない、あぶない。

まだ咳でるし鼻も詰まり気味だけどね、
風邪特有のしんどさはなくなった。

赤子はすっかり良いサイズだし、(むしろ大きい)
そろそろ、身体動かして、
陣痛起きやすくしたほうがいいかしらん。

てか、
よく伸びたお腹=広くて動きやすいのか、
ヒカルの時以上に激しかった胎動が、
今日はちょっと大人しめな気が。

そろそろなのかな。

満月だしね。

そろそろ出ておいでー。
いとしいぼーや。

って、
そうは言いつつ、
もっのすごいマタニティブルーなんだけどね!!!

あの苦行をまた…と思うと、
怖くて怖くてたまらない。

1人目の時は、
まさか出産があんなにも辛いとは思わなかったから、
のんきなものだったわ…。

一度味わってしまったからこその恐怖感がすごい。
2人目あるあるか?

トラウマすぎてここにすら書けなかった前回のお産より、
どうかどうか、楽なものでありますように…。

あああ。

どーなることやらー。



3月。

いろいろ、
いろいろあるなか、
我が家は元気…とはいえないものの、
なんだろうなぁ、暮らしています、という感じかなぁ…。

うん。

暮らしています。

まさかの大病を患ったジゲンは、
1月いっぱい自宅療養してから、会社に復帰。

ただ、
まだ一度も、1週間とおしてフル出勤できていない状況。
体力がね、まだなかなか。

でも確実に、ちょっとずつよくなってるから、
今週はどうだろ。
明日も働ききれたら、フル出勤達成だわ。



今回の病気は、
ジゲンの、我が家の、生き方と考え方を、
ガラリと変えてしまうほどのものだった。
3年前のあの病気以上に。
(あれもかなりの大病だったけど…)

病気による身体的ダメージはもちろん、
再発の恐怖、
リアルに死にかけた恐ろしい記憶、
(奈落の底に落ちていく感じがしたらしい…)
この病気になった人における鬱病併発率の高さ、
どうしても過労になりがちで、さらに常にプレッシャーに追われる職種、
こんな状況ですら本気で仕事の調整をしてくれないダメ上司、

いろいろ、
いろいろ考えて、

ジゲンは、仕事を捨てる選択をした。

好きだからこそできる、
言い方変えれば、好きだからやってる人がほとんどの、専門職。

それを手放す決断をし、
社長に直訴して、
間接部門、いわゆる窓際的仕事に異動させてもらった。

まさかだよ。

あのジゲンが、間接部門て。

ジゲンの仕事がとても好きだったあたしは、
悔しくて悔しくて密かに泣いたけれど、
でも妻としては、それが最良の選択だと思った。

だってさ。
生きててもらわないと困るもん。

それ以上に大切なことなんてない。

なので、
今はすっかり定時あがり組、
18時半には家族全員で食卓を囲む生活。

再発防止のための、
野菜たっぷりごはんを、
せっせと用意する、毎日なのでした。

もはやあたしの今の夢は、
ジゲンと、老夫婦になること、だからねー。

我ながら、なんて慎ましい夢よ…。

だけどねぇ、ほんとうに、
こんなこと起きると、そうなるさ。

大きなことは望まない。
家族が心身元気でいてくれれば、
それでいーや。

どうか神様、
たったそれだけのあたしの願い、
聞き入れて。



でもって!

あたしはというと、
現在37週と3日。
予定日まであと3週間。

…のはずが!

今朝検診行ったら、
まさかの子宮口3.5センチ開いてるってよ!

いつ産まれてもおかしくない。
長くても1週間はもたない。
保育園のお迎えといえども1人で出歩くな。

と、
経産婦だからか、先生にも助産師さんにもさんざん脅され、
まじびびるし!

やばいよー。
まだ出産準備終わってないし!

てか、
一番先に必要かつ重要アイテムである、新生児肌着と新生児用抱っこ紐が、
なぜか見つからない!
絶対ちゃんと整理して置いてあったのに、
引越しのゴタゴタで間違って捨てたのか?

これからネットで注文して、
届いてから水通しして…。

せめてそこまではなんとかもってほしい〜。

最悪、母親に水通ししてもらえばいいけれど、
なんだろう、肌着くらいは、自分の手で洗ってお日様の光にあててあげたいと思ってしまって。

じゃないと、
ヒカルの時にくらべたら、ぜんぜん気にかけてもらえない胎内時代をすごしたぼーやに、
なんか申し訳なくてさ…汗

あー。
どーなることでしょう。



そして。

ヒカルはというと、

超絶イヤイヤ期に、
早めの赤ちゃん返りを併発し、
なんだか大変なことになっているのでした。

てか、
赤ちゃん返りって、普通、症状や傾向をさすものじゃんね?

がしかしヒカルの場合、
ある日突然、自分のことを「赤ちゃん」と呼び始め…、
抱っこは横抱き(首が座る前の抱き方ね)、
哺乳瓶でミルク飲ませるマネを教養、
など、
スーパーダイレクトな赤ちゃん返りっぷり。

13キロの横抱き、超重たいし…。

これ、
本当に赤ちゃんが登場しちゃったら、どうなるんだろう。

不安すぎる。



そんなわけで、
まだ体調不安定な夫と、
いまにも産まれそうな妻と、
超絶イヤイヤ期2歳児での、3人の生活は、

なかなかのハードさです。

ヒカルの世話と、
毎日のごはん作りだけでも、
いっぱいいっぱいよ〜。

いや、
産気づいたらさらにカオスなんだけど!

まだまだしばらく、
我が家は波乱続きです。

まあでもとにかく、
元気に産まれておいで、おなかの子。

会えるの、
楽しみにしてるんだから。

いろいろあるけど、
我が家はきっと、楽しいよ。

だから元気に産まれておいでー!

(ただし1週間後くらいを希望…笑)



連休を過ごしていた。

金曜の夜、
ジゲンの体調が悪くなり、
真夜中にヒカルを叩き起こして救急車で病院へ。

翌朝緊急手術をし、
そこから丸一日ICUに入り、
なんとか佳境を越えて一般病棟に移ったのが昨日。

その間、
ジゲンの心臓は、2度止まりかけた。

色々な偶然と幸運が、
ジゲンをこちらの世界に、繋ぎ止めてくれて。

3日間が、とても長かった。



さっき、

ようやく、普通にLINEできるようになったジゲンと、
久しぶりに、長い会話をした。

ジゲンは、
死ぬことが、とても怖かったと。

あたしは、
失うことが、とても怖かったと。

結婚するということは、
いつか、どちらかがどちらかを失うってことで。
あたしは、その事をとても恐れて、
そのうえで覚悟を決めて、結婚したんだ。

でも。

でもね。

まだなんだよ。

それはもっと先のことなんだよ。

いつか。
子どもたちが巣立って、
あたしたちはすっかり老人になって、
ああまたふたりだねぇって言いながら、
ごはん食べたり、手を繋いだり。
それがあたしの夢なんだから。

ねぇジゲン。

長生きしようね。
あたしたちふたりとも、
できるだけ、長生きしようね。

ふたりで、
子どもたちが大人になるのを、見届けようね。

約束だよ?



人生は、
ほんとうに、いろんなことが起きるなぁ。

いや、
ちょっと、起きすぎじゃないか?

でも。

それでも、
結果的に、生かされている我が家は、
きっと不幸ではないんだ。

だから、
大丈夫なはず。

どうかこのまま、
順調に、ジゲンの身体が回復しますように。

今は、とにかくそれだけ。







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